2022年9月30日金曜日

博士課程の修了要件(入学前の教授との面談)

 社会人博士課程ですので、当然進捗を会社に報告する必要があるのですが、厳しくスケジュールを管理されてはおらず、3ヶ月ごとに報告書を書く程度です。しかし、3年で卒業しないと、延長申請をしなければならず、肩身が狭くなるわけです。


そういうわけで、きちんと計画を立てて研究を遂行しようじゃないか、と思うわけですが、博士課程の修了要件は下記の通りです。入学前に受け入れ担当教授に確認をしています。


  • 単位の取得
  • 査読付き論文の掲載を2件以上
  • 博士論文の執筆、その最終審査の合格

単位はまああれですね、真面目にやってれば落とすことはないということですが、問題は査読付き論文2件。これまで自力で学会誌などの査読を突破し、論文を掲載したことなどありませんから、ここが最大の難関になるわけです。

というわけで、査読付き論文の課題をもう少し細かくしてみました。

  1. 論文テーマの決定
  2. テーマに関する現行論文の把握
  3. 論文テーマをブラッシュアップ
  4. 投稿先の検証
  5. 実験、データの取得
  6. 論文をとりあえず書いてみる
  7. 論文要件に照らし合わせて、自己評価
  8. ブラッシュアップ
  9. 論文を担当教授に確認してもらう
  10. 論文投稿、査読対応

このリストを二回回して、2本の論文を書こうというわけです。まあこれは大変ですわ。手ぶらで入学したら絶対アタフタすると感じたので、論文一本目のネタを入学前からイメージ(上記の1〜4)しながら、入学試験(口頭試問)に臨んでいます。論文二本目のネタは、入学前では野となれ山となれ、一本目を早めに確定させて、二本目の検討時間を稼ぐという作戦です。


すると、博士課程修了要件をどの時間時間軸で推敲していくかもぼんやりイメージしなきゃと思い、入学前はこんなイメージでした。

  • 単位の取得→1年以内に取得する
  • 査読付き論文の掲載を2件以上
    1件目を、入学後1年目に投稿。
    2件目を、入学後2年半後に投稿。
  • 博士論文の執筆、その最終審査の合格→2件目の投稿後に執筆開始。


しかしですね、もうこれ色んなことがモレモレだったんですね。まずば中間審査の有無とその実施要件、単位も前期と後期で必修がある、査読対応期間の見積りが甘い(1、2ヶ月と思っていたが、実績は初校から半年以上)、博士論文の学位申請までに2件目の掲載決定通知が必要(卒業の3ヶ月前には掲載通知が必要)。


特に査読期間の見積りの甘さと、2件目の掲載決定通知ですが私は9月に卒業したいので、6月に中に必要であったことは特に致命的でした。危うく、博士課程を延長することになりそうでした。

というわけで、計画やらその見積りはきちんとできないのですが、やることが決まって、なんとなくですが、あとはやるだけの状況を作り出したわけです。

2022年9月24日土曜日

動機(社会人博士課程への進学)

私は大学生の時に、大学院に進学しましたが、それは就職氷河期での就職を避けるためであって、大学院で研究したい!とか、学問を究めたい!といったものではありませんでした。


就職か、大学院かという岐路に立った時、学部生と大学院生の卒業後の就職先を見てみると、明らかに大学院生の方が大企業に就職している人が多かったので、とりあえず選択の幅を広げておきたいという気持ちで大学院に進学しました。ただ、成人してもまともにお金を稼いでいないという事実は、気持ち的にけっこう嫌だなあと思っていたわけですが。。


いずれにせよ、大学院卒の方が就職に有利であるので、とりあえず行っとくか、という考えでした。ですのでこの時には、研究能力というものがあるということが分かりませんでしたし、その後就職して、研究能力というものが個人の実力として、とんでもない差を生んでいるということが分かるのは、当分後(入社して2~3年後)のことになります。



そもそも、会社員人生を過ごす中で、研究所や開発部門にでも配属されなければ、研究能力などというものは不要でしょう。しかしながら、私はそれらの部門を志願して、なんだかんだで配属されましたので、その中で、研究能力というものが非常に重要であって、しかも、かなり明白にその能力の程度が分かるということ驚きました。研究能力=自走能力=仕事が出来る奴 です。仕事が出来る人は、社内で良い評判が立ちます。



ただ単純に仕事ができる人になりたければ、自己啓発やら問題解決の著書を読めば、やる気になって、本質を追い求めるような行動と考え方を鍛えていくので、それは十分に良いことでしょう。



ただし、私がやりたかったのは、そこを通り越していて、「自分の実力の確認」です。仕事柄、特許やら論文や学会発表やらを行うわけですが、この経緯で自分の研究能力が上がっていくわけですね。この能力は、明白に実力差が分かるもので、私は自分は能力がある方だと、自分で勝手に思っていたわけです。しかし、本当かどうかがいまいち分からない。社内だけで活躍できる、ということでいいのか?



というわけで、「自分の研究能力が博士相当である」ということを自分で確認がしたくなって、社会人博士課程の挑戦を志願することになるのでした。あんまり、こういう人いないでしょうね。。

新たな目標(科学論文用の英語)

英検合格という目標を失ってから、英語を学ぶ動機が小さくなって、どんどん英語力が低下しているのを実感してます40代です。


あれですわ、もう一気に話せなくなるし、その現実に焦りますし、かといってもう一発英検受けっか!と思って受験料見ると値上がりしてるし(2022年現在で¥12600)、同じ勉強をやり直すだけかと思われるので、モチベーションが地を這いつくばってる。。


かといって、ほかの試験だーと思って国連英検とか通訳案内士の受験要項を読むも、私のモチベーションが無反応。どうでもいいがな。さてじゃあ、日に日に加速度的に出来なくなる英語をこのまま指を咥えて見とけというかと、どうやらそれは自分自身が許さないらしい。猛烈な違和感が、私を駆り立てる、その行きつく先はというと、


科学論文の英語の勉強。


具体的には、グレン・パケットさんの著書の二冊。冠詞用法と英語用法百科。一つ目は、ネイティブのもつ冠詞用法の直感的理解の習得。二つ目は、科学論文によく見る日本人の英語の誤用・誤法。


なぜこれに興味を持ったかわかりませんが、まあ、仕事的に英文チェックを頼まれることがあるのと、工学博士との組み合わせが効果的と感じたところですかね。個人的見解は、英検準一級は帰国子女レベルで英語ペラペラ。英検一級レベルは特定分野の専門分野で通用する英語力と思っているので、英語がなくともインテリジェンスがあればいいじゃない、のうちインテリジェンスをよりよく伝える方に軸足を移すかな、と感じています。


スピーキングの発音と語彙がどんどん悪化するのは避けられないので、避けるなら毎日スピーキングの練習をすべきなんですけど、そんなにスピーキング使わないんですよ(やる気出ないのよ)。であれば、英語力を専門分野にシフトして特化できるように強化するのは、自分の性格に合っていると感じますし、何分せっかく身につけた技能を失っていくのは許せないので、その中で一部分でもいいから強化していくことで、気持ち的にもまあ楽になるかなあと。


帰国子女の皆様方は英語の維持どうやっているのですかね。自転車の乗り方と一緒で、忘れないものですかね。私は週明けに自転車乗るとよろけますけどー。いきなり英語の発音に戻れるのがうらやましい。ああだめだこれ、、と思いながら、相手の解釈力に期待した発音で、コミュニケーション成り立ってると思ってる自分が不甲斐無い。。