2022年9月24日土曜日

動機(社会人博士課程への進学)

私は大学生の時に、大学院に進学しましたが、それは就職氷河期での就職を避けるためであって、大学院で研究したい!とか、学問を究めたい!といったものではありませんでした。


就職か、大学院かという岐路に立った時、学部生と大学院生の卒業後の就職先を見てみると、明らかに大学院生の方が大企業に就職している人が多かったので、とりあえず選択の幅を広げておきたいという気持ちで大学院に進学しました。ただ、成人してもまともにお金を稼いでいないという事実は、気持ち的にけっこう嫌だなあと思っていたわけですが。。


いずれにせよ、大学院卒の方が就職に有利であるので、とりあえず行っとくか、という考えでした。ですのでこの時には、研究能力というものがあるということが分かりませんでしたし、その後就職して、研究能力というものが個人の実力として、とんでもない差を生んでいるということが分かるのは、当分後(入社して2~3年後)のことになります。



そもそも、会社員人生を過ごす中で、研究所や開発部門にでも配属されなければ、研究能力などというものは不要でしょう。しかしながら、私はそれらの部門を志願して、なんだかんだで配属されましたので、その中で、研究能力というものが非常に重要であって、しかも、かなり明白にその能力の程度が分かるということ驚きました。研究能力=自走能力=仕事が出来る奴 です。仕事が出来る人は、社内で良い評判が立ちます。



ただ単純に仕事ができる人になりたければ、自己啓発やら問題解決の著書を読めば、やる気になって、本質を追い求めるような行動と考え方を鍛えていくので、それは十分に良いことでしょう。



ただし、私がやりたかったのは、そこを通り越していて、「自分の実力の確認」です。仕事柄、特許やら論文や学会発表やらを行うわけですが、この経緯で自分の研究能力が上がっていくわけですね。この能力は、明白に実力差が分かるもので、私は自分は能力がある方だと、自分で勝手に思っていたわけです。しかし、本当かどうかがいまいち分からない。社内だけで活躍できる、ということでいいのか?



というわけで、「自分の研究能力が博士相当である」ということを自分で確認がしたくなって、社会人博士課程の挑戦を志願することになるのでした。あんまり、こういう人いないでしょうね。。

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