- 社会人は納期に厳しく、いつまでになにをだれがやるかが重要で、新しい仕事が出てきた際にはこれらがはっきりしておらず、担当者の感覚で進めることがある。
- これではいかんと言って、管理職は計画の見える化を進めるわけだが、うまくいかないことがある。計画を見える化すると、やる側にとっては急に窮屈な気持ちが出るのだ。
- これも当然、仕事の納期とそれまでにやることを時間単位で決められ計画に落とし込まれては、ただやるだけの状態になってしまう。作業的な仕事はこれが有効だが、創造的な仕事が含まれる場合、逆に良くない。
- このように、休日の予定を仕事と同じように見える化し、細かいスケジュールを立てることに満足を覚える人もいる。これは人数が多いほど有効で、ある程度の規律がないと大人数を効果的に動かすことはできない。
- また、子どもの学習計画も見える化する場合もある。これはやることの明確化のため、学習する本人の気持ちは置いてけぼりだ。学習効率という面ではもう一歩の検討が必要になる。
- このように考えると、一人で気ままにやるときは計画を立てず、仕事や多人数での行動、長期間の行動に求められる成果に対しては見える化をするのがよさそうだが、同時に自分も含めて実行する人の気持ちも観察せねばならない。
- さて、朝ノートでのこの経験をうつしてみると、ノートの書き始めはなぜかTodolistを書いて、その日のうちにやるべきことを書き出していた。
- ではやっていくかと進めていくわけだが、どうにも気持ちが乗らない時がある。やらなければならないが、やりたくないのだ。これはどうしたことか?まじめな私はTodolistを書いたら、その日のうちに終わらせるのが朝ノートの役割だと思っていた。
- すると、だんだん仕事も朝ノートも同じような感じになってくる。窮屈な感じがするのだ。正直、休みの日にもやることを決めてそれをこなしていくなんて、ばかばかしい。ということに気づくのに散々嫌になった挙句の3か月以上かかった。
- そして、この段階での朝ノートがどのような質的変化をしたかというと、朝に書いたTodolistをその日のうちにやりきらなくても良いものを決めた。やってもやらなくてもよいということにした。
- するとどうだろう、やらなくてもよいと決めたものを先延ばしにして、次の休日の朝ノートにコピーして再検討するようにした。先週はやらなくてはと思ったことが、やっぱりどうでもいいやというものと、なぜか集中して実行できるものが出てきた。
- 筋トレが良い例だ。仕事で土曜日の朝に疲れを感じていたが、筋トレをTodolistに書いていた。その日のうちに終わらせなければならないが、これを先延ばしにした。正直、自分を大切にしているようで瞬間的には気分がよかった。
- 次の土曜日、朝ノートを開くと一番上に筋トレと書いてあった。なぜか、やる気がしていつもより筋肉の部位に集中して筋トレしたし、なぜか筋トレ前にウォームアップなどもしていた。しっかり汗をかいて、気持ちが回復した。やらなきゃという焦りも解消した。
- 予定を決めてこなすということを休日に及んでまでやるのではなく、なんとなくやりたくない、今日は気持ちが乗らないという微細な感覚に注意を払えると朝ノートの質的変化とそれに伴う行動の変化につながると思う。
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