一本目の論文がケチョンケチョンにやられたところで、査読結果をもとにデータや論文の内容を見直して、同様の内容で別の論文誌への投稿を目指します。
前回、英語で書いたのですが、今回は日本語で行きます。日本語でもだめなのに、英語ではさらにだめなのは目に見えているので、まずは実績を作るということと、とにかく一本通さないと、査読に耐えうる論文とはどういうものなのかが、肌感覚でわからないのです。
さて、前回の失敗は下記の通り
- 論文の売りとなるグラフが理解不能
- 論旨につっこみどころが多すぎる(論旨の穴)
- 英語がダメ
今回は「英語がダメ」がないので、とにかく内容に集中です。一文一分丁寧に説明し、グラフの意味は文中に書く。何が重要か書く。再現可能なように、シミュレーションと実験条件を書く。
そして、とにかく何回も書き直したのが、一ページ目の緒言です。
何が課題なのか、なぜこれが重要なのか、なぜこれまで解決されてこなかったのか、それに対してどのようなアプローチをとったのか、その結果、どのような結果(効果)が得られたのか。これらの質問に答えられるように、文章を並べました。
論文中の内容を書き直すと、この緒言の部分が変わってきます。特に、数字関連。結果は、どの程度改善したのかを数値で示すため、内容を精査して、結果が変わればこの数値も変わってきます。まあ、なるべくよく見せて、こんなに改善したんだ!という意気込みで書いていきます。
すると、緒言を読むだけで、論文が何を言いたいのかが分かるようになりました。詳細は、後ろのページを見てね、ということです。専門家でなければ、一旦緒言の課題と解決のアプローチ、結果だけを見て、その論文の価値を判断しようとするわけです。これは読んだ方がいいな、と思ってもらえたらその後ろのページを読んで、前提条件を確認しに来るわけです。前提条件が、自分の持つ課題と近い場合、その人の持つ課題解決の糸口になるだろうとこんなわけですね。
できるだけたくさんの人に読んでもらいたい!という気持ちはあるのですが、論文を書こうとなると、研究対象がかなり狭くなってしまうのですね。この分野全体に通用する効果的な手法!とまでなると、なかなかお目にかかれませんし、ものすごい業績になるのだと思います。私の場合は、対象範囲を狭めて、一点の課題に集中して新規性と有用性を出していますので、論文としてはOKになるのでしょうが、価値で言うと、あまりないのかもしれません。。
とはいっても、なにはともあれ査読を通す!これだけです。論文の価値は読者が決めるので、そんなこと気にしてたらいつまでたっても論文など書けません。査読を通す、論文構成力を身につけたいのです。
さて、気持ちはこんなところですが、博士課程に入学し、約14か月経過。ようやく一本目の論文の2回目の投稿にこぎつけました。今回は、投稿前に先生方に何度も査読をしてもらい、なんとか投稿OKをもらい、ある程度の自信を持って、論文投稿を行うことができました。さあ、どうなることやら。。。
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