うおおおおおおおおおーーーーーーーーーー、なんじゃこりゃーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!
2件目の投稿論文、査読結果の指摘個数、なんと26個。
えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。
投稿してから査読結果が届くまで3か月かかったわけですが、その結果ものすごい数の指摘を受けています。
しかも、二人いるうちの一人の査読結果に、結構辛辣なことが書かれている。。英文での回答ですが、なぜ、この研究をしているのかが分からない。意味があるのか?という意味を含有している。この人、絶対分野違うやろ。
うわー、まじかー。これ採録厳しいぞー。と思っていて、とりあえず査読結果を指導教員の先生方にメールで転送をしました。すると、「指摘の数は多いですが、ひとつひとつ丁寧に回答していきましょう!」そのうち、「この指摘は致命的です」というのもありました。あれ、これってどっち?いけそう?無理?
投稿論文は、先生方と協力して半年以上、20回以上の修正を重ねてきており、その結果、この論文なら自信を持って投稿できる!というレベルのものですが、指摘個数が26個。。正直、目をつむりたくなる結果です。
すぐに査読結果に目を通す気にはならないので、1週間ほど間を空けて、落ち着きを取り戻してから、丁寧に査読結果を解釈していきます。
すると、うむうむ。一人目の査読者の方は、文章がマイルドで否定的というよりも、論文の質をあげるための指摘をしてくれているなあ。この指摘に回答し、論文を修正すれば、さらに論文の質が良くなる!という確信が得られるものでした。本当によく読み込んでくれている。この読みができるということは、知識と経験もさながら、長い時間をかけて、丁寧に査読をしてくださったおかげと、査読結果を読んで感謝の念が湧いてきました。
次、二人目、指摘の大半はこちらの方です。そう、私は知っています。投稿システムには、査読者への論文の回送時期と査読者の回答文の回送時期が表示されるので、こちらの査読者はおよそ1週間以下で回答文を提出している。一人目の査読者の方は、2か月かけて頂いている。
指摘内容を読みます。一つ目の指摘は、論文の意義に関することです。その意義は、まえがきにきちんと記載したと思っているのですが、どうやら査読者の知識から、この論文の意図が分からないと記載がある模様。いや、書いてあるんすけど?これじゃだめか、質問の意図をよく読んで、その回答を論文に追記しよう。
ん?なんだこれ?グラフにこれこれの表示が無いから追記しろ?いや、文章中に、これは得られたデータから省略可能って、明確に書いてあるんですけど?見落としている?
なんか、最初の指摘にある通り、論文の意義が理解されていないようなので、査読者の読みが浅くなってしまっている気がします。これは仕方ない、書き方が悪かった(ということにしよう)。とにかく、一つ一つ丁寧に回答文を作るしかない。
そして、一旦回答文を作成して、先生方に送付しました。すると、「ここに書いてあるからきちんと見ろ、という雑な回答はやめてください。」と指導を頂きました。。これは回答文の書き方が悪く、指摘の内容はこういう意味だと思うから、その内容はここに書いてあるので確認をお願いします。という書き方に修正してくださいとのこと。申し訳ない、確かにちょっと心の奥で、この査読者はきちんと読んでいないという感覚が芽生えてしまっていて、回答もおざなりになってしまっていました。
そしてここから、先生方との回答文作成合戦がはじまります。およそ、再投稿と回答文作成にかかった期間は2か月。英文での回答文の作成もさながら、「あなたは査読者の指摘内容をきちんと解釈できていません」といった指摘も先生方から受けていますので、なかなか難しい。
査読者がきちんと読んでいないことはありません。あなたの査読者に対する理解は誤っているので、回答文は査読者の指摘の意図をきちんと汲んで、丁寧な回答文を作成してください。と何度も言われてしまいました。。
そうはいってもなー。一人目の査読者の方の指摘には、きちんと回答しなければという気が起きるのですが、二人目の査読者何というか、雑というか、たぶん通しで1,2回サッと読んだだけに思えるんだよなー。でもまあ、論文を通したいのは私なので、どんな査読結果であっても採録のためにがんばろう!ということで、気を持ち直しました。
そして、長かった二か月間。卒業まであと半年と少し。次で、掲載許可通知がこなかったら、3年で卒業できないことが確定します。たのむー、どうにか査読通ってくれーと毎日願いながら、結果が来るのを待つのでした。
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