2025年5月5日月曜日

メモをとる

 

  • 上司の話を聞くときにはメモをとりながら聞けとか、メモをとりつづけて人生が変わったとか、はたまた話は手帳にまで及び、取ったメモを手帳に貼り付けたり、Youtubeでは私のメモ術・手帳術などといったような動画もあったりして、よく視聴したりした。

  • 結局のところ、メモの取り方など千差万別で十人十色、自分に適したやりかたでやればいいと思うのだが、これがいかんせん難しい。やはり、朝ノートと同じでメモの取り方も変質していくのだ。

  • こうなってくると、なんのためにメモをとるのか。それをどのように溜めこんで、生かせばいいのかという小難しい話になっている。かくいう私も、朝ノートの将来計画の作成に移った際には細かい自分の意識の変化や、特殊な感情が芽生えたときにはメモに残したいと思っていた(残さず朝ノートに記述したいという意味)。

  • ふつうのメモの使い方は、忘れないようにするためだと思うのだが、仕事や細々としたTodoにおいては書くよりもさっさとやってしまった方が良い。一方で、やや複雑なタスク。タスク同士が紐づいて、その全体管理を任された際にはタスクの相関と日付だけ書いて、どこか一か所にまとめて残しておけばよい。これは立派なメモである。

  • しかし、これが朝ノート向けとなると話が変わる。そもそも、休日の朝に定期的に朝ノートを書いている。すると、平日に思いついた朝ノートに書くべき内容が漏れる可能性がある。これではいけないと思って、メモを残したいと思うが朝ノートは家に置きっぱなしで、持ち歩くにもB5サイズで大きすぎる。ポストイットを持ち歩いて、それにメモを残し休日に朝ノートに貼る案は、手間がありすぎていけない。そのため、平日はケータイのメモ機能を使用し、休日に朝ノートにそれを移植する方法をとった。

  • 一見、うまくいったかのように思えるが、これは気持ちの問題かもしれないが、朝ノートのクオリティが落ちた。なぜなら、朝ノートを始める際にはその日の日付を書くのだが、メモ帳に書いた内容の移植という作業が入るので、その日よりも前の日付のメモの内容が朝ノートの先頭にくることになる。つまり、せっかく新鮮な気持ちで朝ノートをやろうと思っているのに、頭と気持ちが平日のメモの内容に引っ張られるのだ。つまり、今の気持ちを書きたいのに、平日のメモを書いた時の気持ちを思い出さねばならない。これが非常に邪魔であり、快適ではないし、なにより不必要に思えた。
  • しかし、仕事のやりかたと朝ノートの書き方を変えられないわたしはこれを数か月続けていて、なんだかつまらない朝ノートの時間を過ごしていたようだ。

  • 結局のところ、朝ノートに関してはなんでもかんでもメモを残そうとする姿勢が良くない。重要なことなら、平日に思いつこうが休日の朝ノートに書ける。精神が勝手に事あるごとにリマインドしてくれるので、記憶していられる、、ということにした。これは、平日の仕事のやりかたである、もれなくTodoを書く、それらには期限を書くという基本と相反する。つまり、私の主義に反する、、というくらいの気持ちであった。これも最初は気持ちが悪かったが、いかんせん朝ノートの質の低下には耐えられなかった。

  • 朝ノートは休日の朝限定にする。メモはよほど強烈な印象がなければ残さない。なぜならじぶんの意識へはゆっくりじっくり下りていくものであって、なかなかすぐに芯に刺さり、記憶に残る出来事や心象は日常生活からは生まれない、、と思うことにした。つまり、完璧にやることを諦めた、、ということになるが、なぜかこのほうが気分が良く、解放された気持ちになる。このほうがよい。

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