2023年1月27日金曜日

修了式

 なにはともあれ、無事に卒業できました博士課程。

卒業式はコロナ対策ということもあって、時短とのことです。うーん、そっちのほうが助かる。だらだら一人一人に卒業証書渡すのは耐えられん。でも、自分としてはせっかくなので、高校生の時のように受け取りたい。


などという都合の良い妄想をしつつ卒業式行きました。秋卒業(9月)ということもあって、ほとんどが博士課程の卒業者。全部で30人いないくらいです。あ、これは一人一人卒業証書渡すパターンだな。


よーくメンツを見てみると、8割方留学生の模様。日本に留学に来て、博士課程を取得したのか、、これはかなり難易度高いぞ。と思いながらもぞろぞろと卒業式の会場へ。


すると、学部長から各学部のトップがご参列。国旗もある。これ、卒業者の出身国すべての国旗が掲げられているということですね、やるなあ国立大学。


席について待っていると、卒業証書の受け取り方のご説明が開始。ここでいったん止まって、礼をして、ここでも止まって礼をして、一歩前に出て~、、


おいおい無理だろこれ、留学生に。


多分というか、絶対伝わっていない日本の伝統をたった一回の説明で完了し(私も覚えたか怪しい)、さあ準備万端!卒業式の始まりです!


ありがたい祝辞をいただき、これからの世の中は不確実な社会だ~というお先真っ暗な事実を述べて頂いた後、卒業証書を受け取ります。


、、、


あちゃー、留学生、そこお辞儀せんと。


まあそんなことを気にしている人は全くいないのですが、先頭を日本人にして、あとは前の人を見て倣ってやってくれのほうがうまくいきますがな。まあ、順番は別の理由で決まっているんでしょうけど(入学年度順とか)。


さて、いよいよ工学部、博士課程卒業者。どうやら横並びで座っているようですが、驚いたことに三人しかおらん。科学立国ジャパーンはどこいった?中国人の留学生(他学部含む)より全然少ないじゃん。


そうこう思いながらも、自分の番です。儀式的なものは当然パーフェクトにこなして、「これがジャパニーズ、卒業証書の受け取りじゃ!」とか内心思っているわけですが、二十年ぶり以上の卒業証書の受け取り。感動します。ありがとう学長殿。そして、自分。よくやった。


卒業式が終わった後は、流れ解散なのですが、学長が残ってくれて、記念撮影大会が勃発。学長エライ人気者やん、というか私も撮りたいです、お願いします。というわけで、記念写真を学長と撮りました(別の意味で卒業の証拠)。


さて、卒業証書も受け取り、晴れて工学博士です。卒業証書を受け取ったからといって、何も変わっていはいませんが、変わったのは査読を潜り抜けたという実績と研究ネタを一から創出し、論文発表にこぎつけたという経験でしょう。


博士の学位はこれらを証明するものになるかと思いますが、経験があるからといって、他人の役に立たなきゃ意味がありません。今後の論文執筆活動や、他の人の論文査読などに能力を発揮していかないと、取得した意味が発揮されないのですね。そんなチャンスあるかな~。


そして次回の出社時に、会社へご報告。卒業証書のコピーを提出して、社内手続きを完了。どうやら表彰の対象になるらしい。こっそりやりたかったのに、おおっぴらに発表されるんかい!まあ、どちらでも可ですが。


国内では博士課程の威力は高くないのですが、海外では高い感触。しかし、名刺にかかなきゃわざわざ「わたしは博士です。」などとは言わず、とはいっても名刺のやりとりって直接会わない限り、あんまりしないですよね。コロナ環境下で多い海外との電話会議でわざわざ自分の名前の前に、「Dr.」なんて書いたら「コイツずいぶん主張してくるな。。」とか思われそう。つうか、書かない。


というわけで、えらいがんばってそれなりの経験も得られた工学博士への挑戦でしたが、その恩恵に与かるのはずいぶん先のこととなりそうです。とりあえず、寿司屋にパフェでも食べに行くか。


2022年12月28日水曜日

最終審査

 最終審査は、主査の担当教授と審査員となる指導教員以外の先生方から構成されます。私の場合、入学時の口頭試問、中間審査の際とほとんど同じ先生方に審査をしていただきました。


とはいえ、中間審査(2月)から最終審査(8月)の間は半年しか経っていませんので、内容は中間審査からほとんど変わっておらず、中間審査での指摘を最終審査でのプレゼンに入れ込み、説明を補強するといった形で行いました。


あと、2件目の学術論文が掲載可となったことも説明するのですが、そもそも最終審査に進めるということは、このことが前提となりますので、もはやセレモニー的なものだろうと、気持ち的は軽い気持ちで臨んだのでした。


すると、やはり予感は的中して、すでに学位の要件は満たしているため、博士論文の内容の確認、ブラッシュアップのための質疑応答を実施した、という感じでした。否定的な意見や指摘などはありませんでした。というか、言われても今更修正できないのですが。。


事前に先生方には、博士論文を印刷し、紙のファイルに綴じたものを手渡し済みです。何人の学生が秋(9月)卒業なのか知りませんが、なかなかどうして中身をよく見てくださっていました。博士論文内の文意が曖昧な箇所や、内容・意味の確認といった細かい点にも指摘をいただきました。この指摘は、博士論文の最終提出までに修正が可能です。いやはや、もはや指摘がうれしい次元。


最終試験は、説明が45分、質疑応答が15分の1時間での実施でした。実際もほぼ時間通りに実施しました。全員の先生方から指摘やコメントをいただき、最終試験後、別部屋で先生方の審査結果が出るのを待ち(5分程度)、指導教授から結果を説明頂きました。


どうやら、おもしろかったなどといったポジティブな感想が多かったとのこと。これは、一本目の論文に関する内容です。博士の学位の授与は可能とのコメントをいただき、まあ内心「そりゃ、そうでしょ。」と思っていたので「はい、ありがとうございます。」といった感じでした。こんなところでひっくり返されたら、ビックラこいてしまいます。


後は、博士論文の最終提出です。これは国会図書館に行きますので、注意深く何度も見直すように指導教授から指摘をいただきました。これ、CiNiiというネットで調べられるんですね。現段階でまだ登録されていないようですが、自分の博士論文が検索結果として出てくるのを楽しみに待っています。


いやー、なにはともあれ、期限通り3年間で卒業できてよかった。やはり学術論文がなによりも難関で、一本目は入学前からある程度の構想があったので、良かったのですが、二本目が本当につらかった。。英語であることもさながら、査読結果の辛辣なコメント、一生忘れることは無いでしょう。しかし、そこからの指導教授による回答文の査読、二か月間でまさかのほぼすべての指摘事項の消滅。本当に、自分一人の力では成し得なかったと、痛感するわけです。本当に、ありがとうございます(こっそり)。


ここまでくると、会社の方にも「こいつはもう博士課程修了だな」というのが伝わるので、次の候補者に博士課程挑戦の権利が渡るわけです。これが、何年も博士課程に居座っていると、会社の予算的に次の人に回っていかないので、良くないのですが、この点も含めて3年で卒業できてよかったと思います。正直、運が良かった。と思います。


2022年12月16日金曜日

快進撃

 査読結果が返ってきました。


掲載可。


おっしゃやったぜ!

とはいうものの、あれだけあった指摘内容(26個)に対して、一度の回答文の送付で掲載可になるとは、一体全体どういうこと?と思って、査読結果を開きました。すると、26個もあった指摘内容がなんと、


たったの3個に減った。


ということが判明しました。しかも、マイナーな指摘。この時点で、掲載可。すごい、すごすぎる、、なにがすごいかというと、事前に査読をしてくださった指導教員の方々です。あれだけ辛辣な査読結果を受けたのに、ほとんどの指摘が解消され、残すはマイナーな修正のみ。。すごい、これはすごい。というか、信じられない。


先生方に指導してもらった、「指摘の数は多いですが、一つ一つ丁寧に回答しましょう」というのは、金言です。まさしくその通り。査読結果の書きっぷりからして、これ、だめなんじゃないかなーと思っていたのですが、それがまあなんと、一発で掲載可の通知。一発逆転。不安ぶっ飛び。よろこび爆発。


そうなんです。この時点で最難関を突破したのです。博士学位の取得要件である、査読付き論文2件の掲載です。ほんとうによかった、2か月もかけて回答文を作成した甲斐があった。というか、あれだけ辛辣に書かれたのにも関わらず、気を落とさずに、丁寧に回答文をかけたことが非常によかった。先生方には感謝してもしきれません。あそこで諦めて、テキトーな回答文を書いていたら、返送だったことでしょう。その時点で、博士課程の延長が決定でした。


やはり、実力が劣るものが、自分一人で査読を通すというのは無理があります。いくら考えても、自分だけの思考の範囲では、説明が不足してしまいます。読了感も違いますし、他人に読んでもらって、フィードバックをもらうというのは非常に大切な作業だと認識しました。しかも、論文を読むというのは、読者側にも能力と労力が要求されますので、そんなに簡単にできることでも、頼めることでもありません。


つまるところ、博士課程の学位は、私にとっては自分一人の力では到底達成できないものでした。実力が上位の人や、違う分野の人の話などをよく聞いて、どんどん取り入れていかないと、自分の意図するところと乖離し、論文の品質が上がっていかず、自信を失ってしまうわけです。そうならないためにも、じぶんが正しいのではなく、じぶんがただしいのか確認するくらいの気持ちを持ち続けることが大事だと認識しました。とりあえず、あーよかった。


さて、3個のマイナー指摘ですが、さくっと回答して、論文を再投稿しました。この後は、正式な掲載通知と著者校正があるのみです。安心したところで、肝心の博士論文の作成にとりかからなければなりません。しかし、これはやるだけ。これまでのことを考えたら、そこまで大変な作業にはならないはず。


2022年12月9日金曜日

査読結果が返ってきた

 うおおおおおおおおおーーーーーーーーーー、なんじゃこりゃーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!


2件目の投稿論文、査読結果の指摘個数、なんと26個。


えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。

投稿してから査読結果が届くまで3か月かかったわけですが、その結果ものすごい数の指摘を受けています。


しかも、二人いるうちの一人の査読結果に、結構辛辣なことが書かれている。。英文での回答ですが、なぜ、この研究をしているのかが分からない。意味があるのか?という意味を含有している。この人、絶対分野違うやろ。


うわー、まじかー。これ採録厳しいぞー。と思っていて、とりあえず査読結果を指導教員の先生方にメールで転送をしました。すると、「指摘の数は多いですが、ひとつひとつ丁寧に回答していきましょう!」そのうち、「この指摘は致命的です」というのもありました。あれ、これってどっち?いけそう?無理?


投稿論文は、先生方と協力して半年以上、20回以上の修正を重ねてきており、その結果、この論文なら自信を持って投稿できる!というレベルのものですが、指摘個数が26個。。正直、目をつむりたくなる結果です。


すぐに査読結果に目を通す気にはならないので、1週間ほど間を空けて、落ち着きを取り戻してから、丁寧に査読結果を解釈していきます。


すると、うむうむ。一人目の査読者の方は、文章がマイルドで否定的というよりも、論文の質をあげるための指摘をしてくれているなあ。この指摘に回答し、論文を修正すれば、さらに論文の質が良くなる!という確信が得られるものでした。本当によく読み込んでくれている。この読みができるということは、知識と経験もさながら、長い時間をかけて、丁寧に査読をしてくださったおかげと、査読結果を読んで感謝の念が湧いてきました。


次、二人目、指摘の大半はこちらの方です。そう、私は知っています。投稿システムには、査読者への論文の回送時期と査読者の回答文の回送時期が表示されるので、こちらの査読者はおよそ1週間以下で回答文を提出している。一人目の査読者の方は、2か月かけて頂いている。


指摘内容を読みます。一つ目の指摘は、論文の意義に関することです。その意義は、まえがきにきちんと記載したと思っているのですが、どうやら査読者の知識から、この論文の意図が分からないと記載がある模様。いや、書いてあるんすけど?これじゃだめか、質問の意図をよく読んで、その回答を論文に追記しよう。


ん?なんだこれ?グラフにこれこれの表示が無いから追記しろ?いや、文章中に、これは得られたデータから省略可能って、明確に書いてあるんですけど?見落としている?


なんか、最初の指摘にある通り、論文の意義が理解されていないようなので、査読者の読みが浅くなってしまっている気がします。これは仕方ない、書き方が悪かった(ということにしよう)。とにかく、一つ一つ丁寧に回答文を作るしかない。


そして、一旦回答文を作成して、先生方に送付しました。すると、「ここに書いてあるからきちんと見ろ、という雑な回答はやめてください。」と指導を頂きました。。これは回答文の書き方が悪く、指摘の内容はこういう意味だと思うから、その内容はここに書いてあるので確認をお願いします。という書き方に修正してくださいとのこと。申し訳ない、確かにちょっと心の奥で、この査読者はきちんと読んでいないという感覚が芽生えてしまっていて、回答もおざなりになってしまっていました。


そしてここから、先生方との回答文作成合戦がはじまります。およそ、再投稿と回答文作成にかかった期間は2か月。英文での回答文の作成もさながら、「あなたは査読者の指摘内容をきちんと解釈できていません」といった指摘も先生方から受けていますので、なかなか難しい。


査読者がきちんと読んでいないことはありません。あなたの査読者に対する理解は誤っているので、回答文は査読者の指摘の意図をきちんと汲んで、丁寧な回答文を作成してください。と何度も言われてしまいました。。


そうはいってもなー。一人目の査読者の方の指摘には、きちんと回答しなければという気が起きるのですが、二人目の査読者何というか、雑というか、たぶん通しで1,2回サッと読んだだけに思えるんだよなー。でもまあ、論文を通したいのは私なので、どんな査読結果であっても採録のためにがんばろう!ということで、気を持ち直しました。


そして、長かった二か月間。卒業まであと半年と少し。次で、掲載許可通知がこなかったら、3年で卒業できないことが確定します。たのむー、どうにか査読通ってくれーと毎日願いながら、結果が来るのを待つのでした。


2022年12月3日土曜日

論文校正に半年かかる

 終わらない、終わりませんよ。論文校正。。


英文で書くということが、ここまで手間のかかるものだとは、、日本語なら書いてから数か月で校正が完了するのですが、英文自体の書き直しと、論理の書き直し。同時発生すると、訳わからなくなります。先生方から投稿前にチェックをいただいています。


私、この時点で英検1級合格してるんですが、このありさま。。科学論文の英語となると、まったく使う英語が違う(つうか只の実力不足)。特に、冠詞。つぎに、表現の適切さ・強度。「通常、この単語は論文では見かけません」いやいや、論文用の単語集から引っ張ってきたんですけど。。そうか、分野が違うと、使われる英単語も違ってくるのか。。


まず、論理。日本語は、主語が省略される場合は前文の主語を踏襲するという特徴があるのだと思いますが、論文では主語を明確に記載するように、指摘を受けました。これ、書き直すんですけど、主語を明確に書くと、やたら文章が長くなる。。


接続詞、文章の前後関係を適切につなぐ接続詞が必要ですが、不自然・不適切の指摘をいただきました。。Therefore,Thus,Hence,As a result, As the resultを使いこなさないといけません。特に、therefore連発で、これはやめろということです。


次に、図表の表題。長くなってもいいので、正確に内容を記載するように指摘を受けました。確かに、日本語だと図表の説明は短いのですが、英文で書くとこれもまた、やたら長い。。レイアウトがくずれる。。


時制。現在形、過去形の時制を使い分ける。実験の条件は過去形。実験で得られた結果も過去形。一般的な事実は現在形。現在完了は、時勢を強調したい場合に使う。未来系は論文の中身を示す文章では使わない。


冠詞。特定できる事柄にはthe、結果が複数ありそのうちの一つを示すならa、内容を示すなら冠詞はつけない。全面的に見直すよう、指摘あり。


挙げていくと、きりがありません。これ、投稿のOKでないんじゃないか。。というわけでもう割り切って、科学論文用の英語の勉強を始めました。最初にやっておくべきでした。



論文によく使われる単語集だとか、使いません。単語だけ寄せ集めても、結局全部書き直しです。よく使われる単語を不自然・不適切に並べても意味がありません。

まず、最初の一冊は読みやすくて良いのですが、下二つは分厚いうえに、日本語がやや読みにくい。しかし、とんでもなく有益な情報です。学術誌の査読を担当している物理学者が著者なので、この人の言っていることは正しいんだ!という確信があります。


ひとまず一冊目、冠詞のミスが日本人の書く論文の中で最も多い。はい!正解です!冠詞を付けるのを忘れないように、大体のケースはtheを付けろ!と社内で聞いたことがありますが、この本においても、判別が困難な場合はtheをつけたほうが無難とのこと。うーん、なんか納得できない。読み込んでいくと、表面的にはわかるのですが、あまり深い納得は得られませんでした。タイトルに「100」を含みたかったのか、無理やり100個のミスを挙げているような書き方という印象も受けました。入門書、という印象です。物足りない。


冠詞用法の方はなかなか読み込んでも理解が追い付かない。。時間がかかります、書いてある内容をかみ砕くまで。しかし、まあとりあえず読んだ時点の知識で、自分が書いた論文の冠詞を一つ一つチェックしていきます。すると、冠詞が抜けている。theをとりあえずつけていたが、aのほうが適切なケースがある。冠詞が不要なところで冠詞が付いている。こういったミスを修正していきます。

特に、ある式から導出される結果が複数あるなら、aなんですが、答えが唯一ではないのにtheをつけているミスが私には多かったです。次に、一般的な事実を示したいのに、theをつけてしまっているミス。ここは冠詞不要の不可算名詞で示すのが正解。これは、序論に複数個所あったミスです。


単語と表現の方は、よく誤用される単語が羅列されていますので、論文の中で使っている単語があったら、適切に使われているか、チェックをしていきます。そこまで致命的な単語はなかったのですが、differentと接続詞にミスがありました。というか、たまに驚くような内容が書いてあります。due to the reasonとか、「researchは不可算名詞として抽象的な意味で使われる。(上記著作から引用)」とか余裕でやっちゃいますね。すごくためになる、というか先生の指摘すら、それおかしいです!と言える知識が得られる。大満足。


そうこうしているうちに、半年が経過。いつになったら投稿できるんだ?上記の本を活用しつつ、論文の校正を進め、なんとか先生方から投稿のOKをいただきました。ここまでがんばって校正して、査読でNGくらったらどうしよう。。もう、別の学術誌に投稿している時間がない。。さあ、査読結果はどうなることやら。。


2022年12月2日金曜日

中間審査

 博士要件である学術論文の1件目がアクセプトされたため、晴れて中間審査に臨めることになりました。


実のところ、この中間審査の実施条件があいまいで、二件目の論文がアクセプトされてから実施するものと思っていたのですが、それでは遅すぎで、この中間試算で2件目の学術論文も含めた博士論文の全容を審査されることとなっています。


正直、学生のような心持ではないので、緊張などはしないのですが、心の底から「マイルドに終わってほしい!」と願っているわけであります。学術論文の査読結果のように、ケチョンケチョンに言われるのはメンタルやられるわけであります。


とはいっても、博士論文。先生方に内容を見てもらい、博士論文に値する内容であるかの事前審査は非常に重要であって、「ああもう、ケチョンケチョンでも仕方ないか。。」と思うわけであります。そらーあれですよ、先生方から見たらしょうもない研究ですよ。分野もだいぶ違いますし、物事の根底を覆すような発見を目指しているわけでもなく、あくまで高性能化に関する内容ですからね。ただ、新規性や有用性は要する、というわけです。


中間審査ですが、やはり二件目の学術論文の内容が固まっていないと説明が難しくなります。1件目と2件目の学術論文が、博士論文でどのような役割を果たすのかが重要となります。ちゅーか、2件目ちゃんと進めてまっせ!が重要。


というわけで、中間審査に行ってきました。30分説明、30分質疑の60分間です。


ここで致命的なミスが発覚。中間審査後に主査の先生に言われたのですが、「説明が不十分、他分野の先生にもわかる説明が必要」とのこと。そもそも、研究の主題であるパラメータに関して、きちんとした説明がなかったのは良くなかった、との指摘を受けたとのことです。うわー、本番中に言ってくれ~。


それ以外にはそこまで致命的な指摘はなかったということで、順調に進んでいるという認識であるとのことです。これはポジティブですね、まあ相当3年間で修了することに固執していますから、そこはどうにか達成したい。


一旦、中間審査は終えたのですが、若干、儀式的な印象を受けました。学術論文を通すことの方が、よっぽど大変です。というか、学術論文を通せば、修了要件は突破するわけで、中間審査も最終審査も、博士論文としての品質を底上げするための審査という気もします。そりゃー大学として博士論文として国会図書館に納めるわけですから、要件は満たしているとしても、稚拙なものはだめなわけですね。


とりあえず、中間審査は指摘はあったものの、一旦終了。あとは、2件目の論文が査読を突破することを信じて、博士論文の執筆を続けるしかありません。これ、2件目が通らなかったらどうすんだー?


2022年11月26日土曜日

やっぱりとりあえず書いてみる

 どうにもアイデアが出ない。行き詰まっている、そしてそれに対する焦りが出てきて、どうしようもなくなってくる。というわけで、自分の感覚的にも上手くいかないことは分かっているのですが、とりあえず、論文を書き始めました。

二件目は英文誌に投稿しますので、英語で書き始めます。イントロに何が課題なのか、なぜこれが重要なのか、ということを書いていき、それに対するアプローチ方法と得られた結果を記載していきます。

次に、シミュレーションの方法、結果、それらを生かして実験を行い、得られた実験結果を記載し、イントロで浮かび上がらせた課題に対して、どのような効果があったのかをずらずらと並べます。

この時、英語のクオリティは無視してます。まずはザックリ全体像を書いてみて、それを通しで読んで、自分がどう思うかが大事なわけです。


さて、書き終わりました。うーん、これはだれでも書けそうな論文だなあ。なんか言いたいことの分かりにくい、どっちつかずの論文だなあ。といった、感想が自分から出てきました。


ですが、論文の骨格は良さそう。ストーリーは、もうすこし、論旨をはっきりさせれば、読めるレベルには到達できそう。しっかし、わかりにくい。。なにがいいたいのか、よくわからない。なにがポイントなのか、文章では書いてるが、根拠を示すデータがわかりにくい。グラフから読み取りにくい。さらに、シミュレーションの説明が絶望的。。


なんか、問題点だらけなんですけど。。まあわかってたことですけど、まだまだやらなきゃいけないことがたくさんありそうです。それを論文ベースにとりあえず書き直した時、課題が見えてきました。とにかく、わかりにくい。根拠があいまいだから、(データが根拠を示していない)説明もあいまい。納得できない、論理関係になっていない。文章は、論理関係になっている!と書いてあるが、根拠があいまいでよくわからない。


つまり、総じて、なんだかよくわからない論文ということです。ひとつひとつの重要となりそうなパートはわかってきたので、もう一度一から見直しです。。

気づいたことがあります。英語で書き始めると、英語の品質が気になって、文章の読みが甘くなること。表現や時制、英文の書き方に注目してしまって、論理関係を読み取るほうに注意が向きにくくなっています。英文(の表現を)をいくら直しても、論理構造がだめなら、ただ取り繕っているだけです。たしかに英文の表現は重要なのですが、これは論旨が通ってからの話で、真っ当な根拠をデータで示していないのに、これは真っ当なデータなんです!こういったことが明確にわかります!と書いても、「はあ?」となるわけです。


というわけで、英文の校正はとにかくあと回し。少ない文章で、要点を日本語で書いておいて、そのポイントをデータで示してあるかどうかを確認していきました。そう考えると、いきなり英語で書くのもよいですが、論理構造がしっかりできていることが前提で、そこがあいまいなのに、英文で書き始めると、英語を直しているのか、論文の内容を直しているのかわからなくなってきます。大事なのは、内容のほうです。ただ、すべて日本語で書いてから英文で書きだすと、文章の順番が変わりますので、頑張って書いた日本語をそのまま英文にするわけにはいきません。つまり、二度手間。日本語で書いておくのは、骨格の部分の数行のみで、あとは英文を説明文として、英語の順番で肉付けしていきます。